世界かんがい施設遺産
久米田池
近くに一周が2.5kmぐらいの大きな池があって、周囲は遊歩道も整備されている。春夏秋冬でいろいろな顔を持つ池で、春には田植えの季節に向けて満水になる。遊歩道にはたくさんの桜の木が植えられていて、水面に映った桜の花やぼんぼりが美しい。田植えの季節になると、満水だった水がいっせいに放出され、池の水が減っていくのと同時に周辺の田んぼが水で満たされ田植えの準備「代かき」が行われる。
ため池百選
これだけの大きな池なので、もちろんたくさんの魚やその他の生き物も生息している。田植えの準備で水が残り少なくなって実質的に池が小さくなってしまうと、そのたくさんの生き物達が姿を現す。農林水産省「ため池百選」や「世界かんがい施設遺産」にも登録されているので、その生き物達も地元の管理組合の手によってきちんと管理されているようだ。中には食卓に並ぶ魚もいるらしい。冬にはめずらしい水鳥の飛来が話題になって、望遠レンズを抱えたカメラマンが各地から集まったりもする。
散歩コース
近くにこんな散歩コースがあってうれしい。散歩と言っても、ただのヒマつぶしでは大人としてダメな気がするので(笑)時々、ふと思いついた事の整理であったり、近し将来の予定の整理であったりを頭の中で思い返してみる。なにせ長く部屋にこもることが多いから、健康のためでもあったり。
絵は太陽光の下で描こう
絵を描く時は出来るだけ太陽光の下、作業するようにしています。作業台は窓ぎわに設置しているし、キャンバスを立てるイーゼルは絵が太陽光を全面に受けられるように常に窓側を向いている。
太陽があるから色が存在する。たったひとつの太陽の下で多くの目がその色を感じる。その時、様々な捉え方や感じ方が生まれる。たったひとつの太陽という基準があるから、多くの目が様々な答えを出せる。また、それぞれの答えが全て正しい。
今日もたったひとつの太陽の光を感じながら、ボクなりの基準というものを確認しつつ歩いている。突然、タッタッタッと迫ってきた足音と共に、若い集団に勢いよく追い抜かれた。母校である中学校の生徒達だ。
絵描きにとって色は見るものではなく、感じるもの。たったひとつの太陽の下、どう感じるかは人それぞれ自由。朝日に照らされた若さは、まぶしくてイキイキとしていた。